Art of Life インタビュー 2019.10 代表 若山ななみ

 

若山ななみさん

Our Farms 株式会社 代表取締役

Tokyo

【ビスターレ!生きるために生きている】

一回きりの人生って「花火」みたいだなって。 何か残るものでもないし、でも、その時に自分らしい花火を打ち上げる。 自分色で輝けるような環境づくり、そんなきっかけづくりを作っていきたい。 それを通じて自分がスパークできる。

七美さんは、いまネパールで事業をされているのですよね。ネパールへは行った のは、どんなきっかけだったのですか?

2014 年に、ヒマラヤ山脈へ登山に行ったのですね。

その時初めてネパールの首都カトマンズやポカラなど、ヒマラヤ山脈にある田舎 の街に行ったのです。

ヒマラヤ山脈に登山で、ですか?

当時、お付き合いしていた彼の影響を受けて、よく登山に行ったので す。

彼の夢がエベレスト登山で、その前の段階としてセブンサミット、七大陸最高峰 の山を登ろうということで、アルゼンチンとチリの国境にあるアコンカグア山、 ヨーロッパで一番高い山、ロシアにあるエルブルス山。

あと、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山に登りました。

え、それらに登ったのですか?

はい(笑)たぶん、1 年くらいの間で色々な山に登りました。

それで 2014 年 10 月に、ネパールのヒマラヤ山脈に属したマナスルの登山に行き ました。

そのマナスル山は、どの位の高さがあるものなのですか?

8,163 メートル。

ワォ!富士山の倍近くですね。

8,000 メートル級は初めてでしたので、酸素ボンベ持って。

その時に初めて密にネパールの方と交流を持って、一緒に山を登るというのは 「命を預ける」こと。ものすごく精神的にとても近い存在になる。

普通の登山と違ってみな真剣ですし、何かあった時に命を預けているので信頼関 係、登山する前から濃い時間が流れていて。

それはどの位の時間というか、期間がかかるものなのですか?

マナスル山の時は、約1ヶ月間かけて登るのです。

ヘリコプターで山の近くの街まで行って、そこからトレッキングで1日かけて、 高度順応しながらベースキャンプまでゆっくりと行きます。

5,000 メートル位のところにあるのかな、山の中の戻ってくる家、ベースキャン プ。

そこでネパール人の料理人が来てくれているのですが、美味しいご飯を作ってく れて。高度順応するときは動くのですが、それ以外山なのでやることが無い。

暑いテントの中で1日じーっとしている。勿論、シャワーも無く、本当に自然に 囲まれてゆーたりと時間を過ごす。

懐かしいですね(笑)

そんな環境下でも登りたい、その突き動かされた気持ちはどんな事からだったの でしょうか?

自分を試したいという気持ちが強かった。

登山では何度か死を意識する場面があって、一度クレバスに落ちたこともあって。

クレバス、底がないほど深い氷河の割れ目なのですが、それを飛び越えなくては ならなくて。4人で互いに命綱をつけているのですが、それで何とか助かった。

あと、30cm 位の道?断崖絶壁、ものすごく怖くて。まるで平均台の上を歩くよ うな。

そこでも落ちてしまって、その時もネパール人に助けられた。

聞いているだけでドキドキ、ハラハラしちゃいますね(笑)

それでも「なぜ、私は登りたいのだろうか」って考えた時に、自分がどれだけ強 いかを試したい、鍛えたいと思った。

やらないよりは、やりたい。

窮地に追い込まれた時にどういう精神状態で、自分の人間力というか、底力を強 くできるのかなって。

なんか修行みたいな気持ちが強くって(笑)

すごいね(笑)そんな気持ちは以前から持ち合わせていたのかしら?

あえていうなら、中高生の6年間ほぼ休みなくずっとテニス部にいて。コーチが とても厳しい人で、鍛えられたことかな。

強くなりたくて部活以外でも、テニスの練習に通ったりして。

でも、もっと強い選手が居てなかなかレギュラーにはなれなかったけど、基礎体 力がついたし、先輩との関係や先生と繋がりとか。「6 年間やり遂げた」というこ とが、自分の中では大事だった。

もうダメだって思った時の、もう一踏ん張り。 その心の筋力は鍛えられましたね。

なるほど。それを今度は山で挑戦。

山は命の危険があるので、これまで地上では感じたことが無いような感覚ですね。

普段の生活の中で「生きる」ということを意識することは無いじゃないですか? 登山をすると、自分は毎日いきている。

「生きる」って、「生」と、「生活的」に生きということが一体になっているの が、これはネパールの良さ。生きるって毎日を繋いでいることだと、実感として ストンと落ちてきて。

「生きるために生きている」ネパールの人は、今、生きていることをとても大事 にしている。そこに戻れるような気がする。

それは他の登山で感じるものと違うの?

違いますね。ネパールの良さだと思います。

若山七美 Our Farms 株式会社 代表取締役 Tokyo  Nanami Wakayama ネパール いちご事業 社会起業家 インタビュー

七美さんのネパールでの事業の内容をお聞かせ頂けますか?

ネパールで日本の苺「とちおとめ」を主に育てています。

首都カトマンズから車で2時間くらいにあるカカニ村という小さな村なんですけ ど、もともとそこは苺を育てていたのですが、そこに日本の苺を、日本のやり方 で、なるべくオーガニックな形で育てています。

それをブランディングして、ネパールの主要スーパーマーケットに卸しています。

日本ではなくネパールで販売する。

はい、ネパールで栽培して、ネパールで販売しています。

富裕層や観光客向けに出して、もう事業は 4 年になりますね。

登山から苺を作るまでになった経緯は、どんなことからだったのですか?

2015 年の4月に、最終目標だったエベレストに挑戦した矢先に、ネパール大地震 があったのです。

6,300 メートルのキャンプの中で、ガタガタと揺れ始めて。

山では氷山が割れ雪崩が起きやすいので、それで慌てて外に出たら雪崩の音が聞 こえてくるんですよ。

本当に怖くて。

幸いなことに登山したのは中国側だったので大きな被害はなく、すぐに下山命令 が出て退去せざるを得なくて、そのまま空港へ。

この時、ネパール側は大変な被害があったのです。

その時に思ったのは、クレバスに落ちた時もネパール人に命を救って貰った。こ こで何もしないで帰るのは、すごい嫌だって思って。

何か始めよう、ネパールで何か社会的意義のあることを始めようと、それで日本 に戻って事業計画を考えた。

色々と思う中でネパールの良さはなんだろって考えた時に、豊かな自然がベース にあって、それと豊かな労働力があること。

やはり「農業」だって思った。

でも、ちゃんとそこにいる人たちに収入になる仕事を作ろうと考えた時に、単な る農業だけでは儲からないと思って、付加価値のあるものを作って外国人の手で ブランディングする、それを売ることで販売力をつける。

同じような農業でも、所得が上がる仕組みを考えて。

そんな風に、どんどんイメージが湧いて来たのですか?

ネパール人が話していたのは、ネパールでは収入が少ないから、若者は仕事を求 めて国を出てしまうと 言っていて、危険な工事現場、しかも行った先で騙されてお金を取られたり、も っと悲しいのは遺体となって戻ってくることがあると聞いて。

村の人たちからの要望は、収入が上がって村で若者が働けること。

村の人たちにヒヤリング(調査)もされたのですね?

はい、しましたね。村の人たちを集めて。

元々、苺をネパールに導入した日本の JAITI(ジャイチ)という団体があるのです ね。以前、ジャイチがカカニ村で活動していたことがあって、その時に関わった 初期メンバーと出会って。

その人たちが人を集めてくれて。

この時のネパール人たちと今一緒にやっているのです。もう 4 年になりますが、 しっかりしていて一度も裏切られたとか、騙されたとか思うことは無いです。

それは互いに良いご縁でしたね。

綺麗な村なのですよ。

そこの村を生かせる。村を離れたく無いけど離れざる得ない現状。お金を稼ぐ仕 組みを作らないと、そうビジョンを持って会社を立ち上げました。

農作物を「苺」と決めたあとは、実際にとても良い苺の生産をされている栃木県 と千葉県の農家さんのところに行って学ばせて頂いて、それをマニュアル化して ネパール語に翻訳して、それを教えにいく。

やはり一番は管理なのですね。

過去のお話を聞くと、日本人の現地スタッフがいるときは良いのですが、時間が 経ってしまうと畑の手入れを怠ったり、中には勝手に売ってしまったり。日本的 な細かい管理を教える必要がある。

文化背景が違うので、最初はとてもストレスでした。

すぐにメールでお返事下さいって言っても、2日くらい経ってやっとみたいな (笑)

それで私も色々と経営の勉強をしたのですね。それで、現地のやり方で、現地の スタッフが運営できるように任せて行こうって、変えたのです。

それはすごい転換ですね。

「ビスターレ!」

ネパール語で「ゆっくり」という意味ですが、登山でも「ビスターレ、ビスター レ」って言って進んでいくのですが、ネパールの「ビスターレ」のテンポに合わ せて行った方が、将来的にもいいのじゃ無いかなって切り替えた。

それ以来、ネパールのチームワークがとてもよくて、マーケティング、フィール ドスタッフと上手く連携していて、私が日本で子育てしていても、ちゃんと回っ ていて。

とはいえ、やはり遠く離れた場所。どのようなマネージメントを心がけているの ですか?

一番大事だと思っているのは、会社の「ミッション」。

このミッションありきで会社を立ち上げているので、もう何回も、何回も同じこ とを、ずーっと伝えていますね。

「農作物を通じて世界に雇用を増やす。それが今ネパールで苺を作ることで、現 地の仕事と収入を増やす。」

そのミッションだけを、何度も、何度も繰り返して、私たちはあなたたちが作っ た苺を買い取って売っているわけだけど、チームなのだよって。

あなた達が、沢山良い苺を作ったら会社に利益が生まれ、その利益を使ってまた 別の村に投資ができる。

沢山良い苺を作るのは、ネパールの循環のためですと伝えて。

事あるごとに同じことをずーっと言い続けていて、今では私がいなくてもスタッ プ達が言い続けてくれていて。

だから、隠し事なく信頼関係を築いていける。

若山七美 Our Farms 株式会社 代表取締役 Tokyo  Nanami Wakayama ネパール いちご事業 社会起業家 インタビュー

なるほど。ミッションを伝え続けることで、時差や価値観の違いや言葉の壁も埋 めていけるのですね。

すごい力が出ますね。

七美さんは、どのくらいの頻度で現地に行かれるのですか?

数ヶ月に一度は行っていますね。子供を旦那にお願いして、今月も行く予定です。

ネパールの人たちの働く姿を見ていると、みな輝いている。

その人たちの農業している姿がすごいカッコいいのですよ。コンポスト(肥料) を切っている姿や、背中に大きな藁を背負って、みんな裸足でそれをふんで、水 をかけて。

その姿を見ていると、皆、すっごく輝いている。

現在、175人の農家さんが関わってくれているのですが、その人達の生活を支 える。

関わる人数が増えていくたびに臨場感があって。

人生の中で、こんなに密にネパールの人とビジネスを通して関われるも、本当に やって良かったなって思っています。

 

異文化の人たちと、何かを一緒に作っていくって素晴らしいことですね。

彼らが収入を得ることで、その人達の人生、可能性が広がる。

日本のように恵まれているわけではないので、お金がないとやりたいこともでき ない。

収入を得ることが大事で。

それこそ尊厳ですよね。

ほんとそうです。

収入源がないから、女性達は他の国に行って体を売ったり。ネパールではやはり お金が大事だなって思います。

ネパールの人も人生も、色々な可能性を持って輝けるような手助けができればい いなって思っています。

なぜ、こんなに七美さんがネパールに関わっているのだと感じますか?

なんでしょうね(笑) 日本にいると孤独感がある。東京はこんなに人が多いのに、なんか孤独を感じる。

ネパールに行くと、私にとってエネルギーがチャージされるのですよね。ネパー ルに帰ってくると、すごい嬉しくて幸せ、なんか安心する。

日本人は、朝起きるのは皆違うじゃないですか?それぞれのライフスタイルによ って起きる時間が様々。それがある種遮断されているような。

でも、ネパールって鳥の鳴く声で起きて、社会全体が動き出すって感じがある。

一人ホテルで目覚めても、みんなも起きたって感じが伝わってきて、なんか一人 じゃないなみたいな。

何かわからないけど精神的な隔たりが少ない。それと、ネパール人同士、皆友達、 家族の延長みたいな付き合いがあって、居心地がいい。

七美さんのお話を聞いていて、ビジネスとしてみても、生き方としても何か新し いあり方であるように感じました。ご自身ではどのように感じていますか?

これまでのビジネス、人が関わる仕事も無くなっていくと言われる中で、逆にで きるだけ手間暇をかけて良いものを作るがポイントだと思っていて、国内で回す のは地産地消を考えていたから。

苺は、とても繊細なので輸送にも気をつけなければなりません。

なので、そう遠くには持っていけないのですが、インドは隣ですので、来年には 少し近隣の国の街へも出せそうです。

とてもしっかりとしている七美さんですが、その前まではどんなことをされてい たのですか?

学生の時からモデルをしていました。そのまま世界を旅し、登山しながらきたと いう感じです。

子供の頃からオードリー・ヘプバーン(女優)が好きで、彼女のような社会的活 動をしたいと思っていました。

子供のころから社会活動に。

それは母の影響が強くて。

私がいま生まれた日本は物質的に恵まれている。でも他の国に生まれた子供達は 違うのだよって。

私がとても気になったのは、「地雷」。普通に外で遊んでいるだけで、急に爆発 があって手足を失ってしまう。

そうして色々な国の情報を母から聞いていて「そっか、自分はここに生まれたの は単にラッキーなだけなのだ」って思った。

いま大変な状況にある子供達、社会のために何かしたいと思って小学生の頃から 時々、お小遣いをためて募金をしたり。でも、ちゃんと動き出したのは、今回会 社を立ち上げてからですね。

H SEEDS、これは私の活動名ですが、ハピネスやホープ、その頭文字をとった H のタネ。その種まきの活動を意味しています。もし、七美さんがこの人生で、た った一つの種を撒くとしたら、それはどんな種だと思いますか?

自分がやりたいことをやれている。それは、私にとってすごい幸せなこと。

その人の人生がスパーク(火花)するような、その人が持っていることを生かし て輝けるような「きっかけを与えるタネ」を、沢山増やしていきたい。

そういう「きっかけ」を作っていきたい。

人生のスパーク!

一回きりの人生って「花火」みたいだなって。

何か残るものでもないし、でもその時に自分らしい花火を打ち上げる。人生、そ こに意味があるかよりも、大事だと私は思っている。

自分色で輝けるような環境づくり、そんなきっかけづくりを作っていきたい。 それを通じて自分がスパークできる!

そう、スパークしたいね!この先、七美さんがやってみたいことはどんなことで すか?

ネパールで1万人の雇用を増やす。1万人の人生がちゃんとした収入を得て輝け るような。

今はカカニ村とオカルパウラ村でしかやってないので、本当に貧困なところで何 を作ればいいのか計画を立てて、ほんとに大変な村が一杯あるので。

1万人の雇用。そこにはそれぞれの家族がいるから、本当に沢山の人の人生を支 えるね。

「Hime Berry」というブランドで苺を作っていますが、社名は「Our Farms」。

このブランドで農作物を作りたいと思っていて、スーパーなので Our Farms の農 作物を見た時に、この野菜、オーガニックだし安心して子供に食べさせられると いうのと、この製品は「世界平和を象徴する製品」なんだってイメージして持っ て貰えるような農作物ブランドにしたいです。

七美さんの会社のロゴをみるだけで、そのミッションが伝わっていくような。地 球人として七美さんの活動も広がっていくといいね。

はい、同じ地球に生まれた仲間だから。 ネパールのことも、もっと伝えていきたいですね!

若山七美 Our Farms 株式会社 代表取締役 Tokyo  Nanami Wakayama ネパール いちご事業 社会起業家 インタビュー

Art of Life インタビュー

Ms. Nanami Wakayama

立教大学、異文化コミュニケーション学部卒業。在学中は、雑誌や広告でモデル 活動。2013 年から世界の七大陸最高峰制覇を目指して登山を開始。キリマンジャ ロ山、エルブルス山、コジオスコ山、マナスル山、アコンカグア山登頂。2015 年 エベレスト登山中、地震が起こり登頂を断念。ネパールでの起業を決意。2023 年 現在、170 人の農家と 70 トンのイチゴを生産し、ネパール国内で販売。Our Farms株式会社 (日本)代表取締役

HIME BERRY

http://www.himeberry.com

https://www.facebook.com/ourfarms.jp/

Kalikasthan Dillibazar Kathmandu

01-4540417 

Our Farms Nepal Pvd.Ltd.